第23章 国家社会における機構とアイデンティティ
人間のものであれアリのものであれ社会が相当な大きさになると、メンバーを養い守るために社会に要求される内容が複雑で多様になる。
こういう共通点で見れるのも楽しいな。そういえば、最新のアリの研究によると社会の大きさ(居住しているアリの個体数)とアリ語の利用頻度や複雑さが相関しているらしいということがわかりつつあるみたいです。人間が使う言語でさえも社会の複雑さによって複雑になっているのは感覚的にはわかるので、アリでもこういったところまで似るっておもうと、いろんな視点をもてそう。
国家の長は、みずからの意思を法に定める権利をただひとりもっていると主張するばかりか、きちんとした社会基盤を整えてこの主張を裏づけた
首長制だと首長が下位の首長を監督する必要があり、そのやり方だと広大な領土を持った場合は破綻していくと。解決策として人ではなく法を採用して、人が直接監督するのではなく法による監督?に切り替えることで広大な領域を管理できるようになったという話か。面白いなあ〜
したがって、立派で都会的な中心部をもち、文明とよぶにふさわしい国家を形成する方法は複数ある一方で、可能性の範囲は実際のところかなり限定されている
規模が大きい組織になっていくと取れる可能性が狭まっていくってことかな。そう考えると、「それぞれの現場のコンテキストで考えるしかない」というアドバイスって怪しさもあるな。。(そんなに選択肢自体が豊富でないので、ある程度は定義ができそう)
人々は、変化を食い止めるか変化に順応することができる。ただしそれは、社会のなかで情報が効率的にやりとりされている場合に限られる
これ、さまざまなスケールで起きる問題について言及していてすごいな。。。
狩猟採集民とかに関して1968ころにシンポジウムがあったり書籍になったりしたらしい。
ほんとそれです。。
近くにいることは、人々が他者のアイデンティティとの協調を保つための、ひとつのローテクな手法だ。それでも、これは必須ではない
リモートワーク主体に世間がなって実感したことでもある。ドキュメントだったりチャットでチームや組織全体に情報がやり取りされている前提はあるけれども。
文明の行進
「戦争が国家を作り、国家が戦争を作った」と
「新しい文明が戦争を作り国家になった、そしてまた新しい文明により国家が戦争を作った」とも解釈できますね
for (n) {殷王朝→周王朝 他なんか色々王朝}
よそ者を人間の社会に吸収することが始まったきっかけは、攻撃ではなかったのだろう。そのきっかけは、よそ者をときおりメンバーとして受け入れたことだった。
攻撃ではなく「競争」かと、人事=戦略、資本は「人」ですね